夜明け。
いよいよ到着する。
とうとう始まるのだ。
機内では不安と期待で全く眠れなかった。
・・・という事はぜんぜんなくて、仕事の引継ぎや準備で、
当日まで徹夜が続き、目が覚めたら空が白んでました。ゆるゆるですw(笑)
生まれて初めて飛行機に乗ったのが、一回目のオーストラリア渡航だった。
初めて入国した時は英語の書き方も知らないし、汗びっしょりになりながら隣席のおばさんに聞きながら書いたことを思い出します(笑)
到着ロビー。
23年前に来た時は、初めて日本から出たこともあり、金色の人波に圧倒されました。
生垣のコンクリートに座って、しばらく立てなかったw
生垣のコンクリートに座って、しばらく立てなかったw
肩が当たって「SORRY!」なんて言われて、ドキドキでした。
「大きな荷物は14番の窓口よ。」
「・・・いたいた。釣竿。」
入国審査が終わると、まずタバコを吸いに外に出ます。
タバコ吸いが飛行機を降りてからやる事は万国共通で、灰皿に何人か集まってきました。
セキュリティチェックでライターを取られちゃったのか、持ってない人が多く、何人かに火を点けてあげました。
みな無言でしたが、東洋人ふうの男性と二人になって私は喋れないのに、厚かましくも声をかけてみました。
この先は全ての事は自分でこなさなければなりませんから、恥ずかしいとか自信がないとか、そういう選択肢はないです。
どこから来たのか。どこへ行くのか。何日ぐらい滞在するのか。旅人の場合だと、コミュニケーションはそこから始まります。
彼はゴルフという名前で、仕事でタイから来て、4週間滞在し、海産物の買付けに来たそうです。
市内の地図はどこで手に入るか教えて欲しい。と聞くと、
本屋で手には入るけど、一緒においでよ。
と、彼が借りるレンタカー会社のカウンターに行って、タダの地図を貰ってくれました。
と、彼が借りるレンタカー会社のカウンターに行って、タダの地図を貰ってくれました。
道中必要のはずの、テルストラのプリペイドの携帯電話とwi-fiを買いたいんですが、見当たりません。
他の会社のカウンターはあるんですが、国土をより広範囲にカバーしているものが必要だったので、市内で手配する事にしました。
私はスマホを持ってないので、ロビーのタダのインターネットで探しました。
「あるある。場所はわかった。」
間違えてメモるといけないので、カメラで撮りました。
「ココに行って下さい」
タクシーもよく道がわからないようで、同じ所に戻って来て誰かに聞いてました。
なんか変だけど、まあいいか。
それで15分後に到着。正面の大きな木の向こうがオフィスのはずなんですが・・・。
・・・玄関にはクサリが巻かれてて、ドアが壊れてて、空家でした。
ここは倉庫街で働く時間なので、通行人は誰もいません。
となりの会社の人に聞いても
「住所は合ってるけど、数年前からココは空き家だよ?」
しばらくそこらを探しましたが、重いザックを背負い、両手に釣竿とバッグを持ち、1kmも歩けなかった。
わたしは車の取り込み詐欺にあったのでしょうか。
こんな言葉も喋れない勝手のわからない所で、私はどうしたらいいんでしょう。
「やべえな。なんかマズい事に巻き込まれたみたいだなー。」
こんな時あなただったら、どうしますか。
・・・わたしの場合は、
途方に暮れて道端でタバコ吸ってるところ(爆笑)
電話番号は知ってる。
でも私は英語で電話した事なんてないし、どうしてもイヤだ。ですがそういう事言ってる状況ではないので、電話してみると・・・。
外人のウグイス嬢につながりました。
・・・でも英語です(爆笑)
ココで切って負けてはならないと、しつように食い下がります(笑)
日本から来た事、車を受け取りたい事、お宅の住所にいるけど事務所が無いこと、など言うと、そこは2年前に移転した場所だと教えてくれました。
どうも私が持ってたアドレスが、古かったみたいです。
そ、そんな事いま言われても、私も困ります。
電話で新しい住所を親切に説明してくれて、アップルのAとか丁寧にスペルを教えてはくれるんですが、
AとRとLとかの巻き舌の発音とか、やっぱぜんぜんわかんねっすw
・・・ウグイス嬢は電話の向こうで、ため息をついていました(笑)
でも住所がわかったってタクシーの呼び方も知らないし、私はそこにゆく手段を持ってないです。
ココで諦めて切ったらすべてが終わるので、わたしは決して電話を切らずに同じことをエンドレスで喋り続けますwww
・・・そしたら、スタッフが車で迎えに来てくれる事になりました(嬉)
10分後、ブライアンという男が迎えに来てくれたんですが運転しながら、不安のどん底で無口な私に、陽気に話しかけてくれるのがせめてもの救いでした。
どこだって人の心遣いは有難いものです。
祝・事務所で一回目の通関手続きしてるところ
カルネとか、必要の書類を渡しました。
荒天で船が一日遅れてるので、引取りは来週の水曜か木曜になるとの事です。
「月曜に電話するからきてね。」そう言って
シドニーの市内まで車で送ってくれました。
今夜はどこに泊まろうか。
中心部にはバックパッカーや安宿がたくさんあることを知っていたので、ユースホステルに行ったところ、土曜日にラグビーの有名なライオンズ?の試合?があるとかで、一杯でした。
どこか空いている所がないか聞いた所、幸い近くのYHに空きがあるとの事で、予約してもらいます。
市内で$36なので、まあまあ高くはありません。
wi-fiの機器も、手配出来なかったので、YHで一日$5のやつを使う事にしました。
でもココも一晩しか泊まれないので、明日はまたどこか探さなければいけません。
夕食は近くのチャイナタウンで取りました。
やべえ、携帯の充電器忘れたみたいだ。もうダメになる。どうしよう(笑)
宿のカウンターで聞いてみると、オーストラリアの充電器では適合しませんでした。
ネットで調べてみると、ドコモが市内では3ヶ所で充電と無料貸し出しをしてくれているようなので、明日行ってみる事にしました。
そうして、とりあえず初日は暮れていきました。
こんばんは。
返信削除yoshiさんがバイクで走ってたのって1990年頃ですか?俺も1989〜1990にワーキングホリデーとってバイクで走ってました。実は何処かで遭ってたりして(笑)。
おすですね。何処かでお会いしていたかも知れませんね。
返信削除私が滞在していたのは、1990年の1月末から4月末にかけてですね。24歳の時でした。
ビザは観光で十分だったのですが、これを逃すと取れなくなっちゃうな。って思って取ったんですね。
バイクはシドニーのscottsで1989年型(リアがドラムブレーキのやつですね)の赤いHONNDA・XR250を購入して、
アシャルビスの19Lタンクと大きなキャリア、それに両脇に10Lのジェリカンを2個着けてました。
ですので、車体もシートも全部赤でした(笑)
ヨコタさんっていう九州出身の、やはりワーホリの若者がワークショップに居ましたよ。
ルートはおおまかに、シドニー→アデレード→クーパーピディ→ナラボーレールルート→カルグーリ→エスペランス→パース→ウィルナ→ガンバレルHWY→エアーズロック→ダーウィン→マウントアイザ→ブリスベン→シドニーみたいな感じでした。
当時、私もそうでしたが道中や宿で、沢山の日本人の若者に出会いましたよ。
今でもたまに会う縁を持った人もいます。
今回は行動パターンが違うのか、まだ日本人ライダーには会ってないですが、
YHの一番安い相部屋ではすでに、自分の目で世界を確かめに来ている、世界中の若者たちに出会ってます。
TVで池上彰さんが「日本の若者は学校の学習に追われ、そして国内にいるほうが楽だし、世界を目指さなくなってしまった。」と言っていました。
ロバート・ハリスさん(だったかな?)も「オーストラリアでは若者は学校を卒業すると、英国や他の国に向けて旅をする。それは就職時に、経験として高く評価されるが、日本では価値観の違いから、就職浪人になってしまう。」とも言っていました。
yukiさんや経験豊富な先輩方がココにいろいろ書き込んで頂き、若い人になにかよい機会が作れたらいいな。と思います。
いえ、おかしなことを言いますが、私は面倒くさい野郎ではないです(笑)