2013年6月30日日曜日

連絡用です。ココは何でも書いてね。

ふと、みんなは私の立てたスレにしかコメントできない事に気づきました。
ココはメモ帳とか掲示板みたいな使い方でOKです。

2013年6月25日火曜日

出発する4年前のこと~杉山さんのはなし

よく旅のいきさつを聞かれるので話しますね。
こういう話は初めのころにするべきなんですが、旅の途中ではいつも何かに追われ、じっくり考え、話す余裕がなかった。
これから話すことは出発する4年くらい前、出発に踏み切るターニング・ポイントのはなし。

道中の話ではないし写真もないので、基本スルーでお願いします。





最適だと思われる4WDをなんとか手にいれ、必要だと思われる整備や装備を自分で取付け、トラブルに対応できるようになった。

その車を使い厳冬期の北海道を車中泊で旅し過酷な状況に慣れ、一日で千葉から熊本まで行って長距離を体験したり、日本中を旅して、日本でもできる、長距離ツーリングのトレーニングをしていました。
先輩たちに連れられて雪山や泥んこにゆき、極悪路の走り方やスタックした時のレスキューやリカバリーも教わった。

長い間スリープして旅からは離れ、生活にまみれていたので、「みんなにあんな強がりは言っちゃってるけど、あの長期間の過酷な旅に、本当におれは耐えられるんだろうか。」と、どうしても自信が持てなかった。
その自分への現地テストも終わって、よし。大丈夫だ。まだイケる。

今回の旅に向けて、私は準備を続けてきた。当初の目標としてきた20年後は2010年。来年だ。
とうとう出発へ向けて、具体的な行動をする時がきた。


でもね、私は社会的な名声や地位がある探検家や冒険家ではなく、タダの普通の疲れたオヤジなので、人からは理解も支持もされないこういう事を進める時、周りからの風圧は、それは強いものでした。

職場の上司であった父は私が旅行の話を始めると、サザエさんちのタラちゃんのように”クリクリン”と音を立てながら離れてゆき(爆笑)、
嫁に行った姉からは電話が掛かってきました”ヤメたほうがいいわよ。”
そして、皆が私に聞きました。「なんでそんな事するんです?」
車仲間も半信半疑で夢物語のような話を聞き・・・。
さらに、もともとこういう事を通して感動を共有し、絆を深めたかった家族は、そういうお家騒動の中で、三歩離れたところから私を眺めていました。


私はいま40代後半。人生のなかでは一番働かなくてはいけない時期であるといえるでしょう。
社会で生きている以上、やりたい事だけやっている訳にはゆかないし、こんなに不況な中で、夢だの目標だの、うわついて自分のことだけやって、遊んでいる場面でもありません。

仕事も若かった頃とは違い、「旅に出るから辞めます。」そういう無責任な選択肢はない。
勤務する小さな町工場で作業、工務、事務、労務、財務、銀行とのこと、最終意思決定をも担っており、それなりの義務と責任を背負っています。



・・・そういうシゴトってさぁ。おれがいない間、だれがやんの?


好き勝手やってケガして働けなくなったり、もし死んで帰って来れなかったら、みんなへの義務や責任はどう果たすわけ???


なんていうかなぁ。 どう考えてもムリなんですよ。 無理ムリむり。(爆笑)
長期で。ましてや危ない旅なんて。いい年したオヤジが。どう考えても。



よし。それはわかった。それで? おれは本当は、どうしたいんだ?



旅に出るのか。あきらめるのか。オマエはどうしたいんだ。いまハッキリさせようぜ。
このころ毎日、そういう自分への問いかけを繰返していました。



杉山さんという爺ちゃんがいます。歳は私の母と同じ。

近所で町工場を営んでおり、ひとり親方。私の仕事仲間であり、釣りの先輩でもある。
気が向けば仕事を放りだして、ボートを引っ張り海釣りしに行っちゃう(笑)

バカ話の中で、私からは気楽に働き、いまは悠々自適に過ごしているように見える杉山さんに、若いころ目指していたという、ボートを使った日本海岸線一周をやったらどうか。という事と、私のこの迷いを話してみました。

「悠々自適ぃ?そう見えるか。はは。そうだろうな。やろうと思えば出来るかもなぁ。
例えばよ、海を旅すればキレイだ。釣った魚を食って、大海原を旅したらそりゃ爽快だろうよ。最高だ。」

「でもよ、いい事ばかりじゃねぇ。天気が悪くなりゃ荒れるし、船が壊れて漂流したりすりゃあ、命にかかわるよな?」

「若かった頃はよ。むしろそういう事に立ち向かって、挑戦したかった。いまのアンタみたいにな。
でも今はよ、なんていうか、そういうこと考えただけで、腹いっぱいになっちゃうんだよな。おっかねえ。」

「気持ちっていうのかな。もう俺はそれを持ってねえ。歳をとったのさ。カネだの船だの、目に見えるものだけが旅に必要な条件じゃあねえのよ。」

杉山さんは遠くを見ながら、ポツポツと話し続けます。


「オーストラリアだぁ?砂漠ぅ?俺は外国のことは知らねえがな。」

「魚釣りでよ、”時合いが回ってくる”って言葉があるよな? お魚がメシを食う時だ。ただ糸を垂れているだけで、面倒なくたくさん釣れる。」

「人生にも時合いってのはあんだよな。なんでもそうだが、それほど苦労せずにトントン拍子に話が進む時が、そんな時なんだよな。」

「でもよ、100%の条件が揃う時なんて、まず、ねえと思ったほうがいい。なんか足りないながらも、どこで決断するかなんだよ。」

「若かった頃、俺は仕事や生活に追われて、そこに気づかずチャンスを逃した。」

「でも年の功ってのはあってよ、もう戻れない今から、振り返ったときにはわかんだよな。
ああ、あの時だったんだな。ってな。」

「だからよ、俺には今のアンタに時合いが回って来てるのが見えるよ。」


「それで? できる事は全部やったのか? ああ、これからなのか。そうか。
できる段取りをぜんぶやって、諦めるのはその後でいいんじゃあねえのかい?」



「なんにもやらねえで出来る事なんて、あるのか?」



私は考えてばかりいる自分が恥ずかしくて、言葉が出なかった。
そしてこの時、やるのか、やらないのか。自分の中で最終的な決断を下しました。


杉山さんの他にも、こんなふうに背中を押してくれた先輩が、何人かいます。

今後も歳をかさねる私が目指すところは、自分の経験から若い人たちの背中を押せる、こういう人たちへ近づくこと。
そのために私が今すべきことは、失敗してもいいから恐れずに、失敗も、成功も、より多くの経験を積んでゆくこと。



この後に車の輸送手配を進めていたとき、東日本大震災が起きました。



数か月後、それらが少し落ち着き、自分には体力的なタイムリミットが来ている。と感じていた私は、現地での旅に有利な冬に間に合う、ギリギリのタイミングで手配を再開したんですが、父が体調を崩し入院、数か月の入院ののちに、死んでしまった。





自分の努力だけでは、どうにもならない大きな流れって、やっぱりあるじゃないですか。

ムリに逆らって進んでも、エネルギーはムダに使うし、期待する成果も出せない。


若かった頃はそれでも進んで、そして失敗した。そのことを今までの経験で、私は知ってる。


私は一年間のブランクを空け、再び時合いが回ってくるのを待つ事にしました。

それが、2013年だったんです。