2014年4月28日月曜日

20140301帰国後2ヶ月経過ごろのはなし・車帰還

・・・それから更に時間は流れて車とも再会しました。
出したのと同じ川崎港の保管ヤード。
車内に積んでいた荷物が往きよりもたくさん盗まれちゃったんですが、車は無事で2ヶ月半ぶり。
やっぱ、いとおしいですね。

この旅で涙がにじんだのは2回。シドニーで受取った時と、この時。
嬉しいのと、「いや~。たいへんだった~~~。」(笑)




でも、やっぱ終わった感じがしないんです。
・・・ウソはつけないんでこれから、ちょっとカッコ悪い話をします。



普通に働けるし人とも接せられるけど、夜ひとりになると燃え尽きた灰みたいになって、明日のジョーみたい。ロスですね。(笑)

この頃は誰と会う気もせずに、考えごとをしながら深夜見たくもないTV画面をずっと眺める。

「心の病になっちまったかな。やべえなぁ。」そんな感じ。


こんなハズじゃねぇ。なぜ落込むのかがわからねぇ。
つらい環境であっても、あんなに楽しかったのに、なんでなんだろ。
この、せつなくやるせない気持ちは、いったい何なんだ。



おれは、はるか昔に立てた目標を目指し、ターゲットを絞り込み、あきらめずに進み続け、そして到達し、完了した。

少しゆるい場面はあったけど、いつも後悔がないように自分をギリギリの所に置いて、やりたい事を取りこぼさないように、後悔は残さないように、ガタガタ道も、暑い所も、夜どおしでも走り続けた。

もともと大した事は出来ないけど、いつもひとりぼっちで自分の限界にチャレンジし、そして乗り越えてきた。


本来なら、やりきった感、満足感、充足感に満ち溢れていて当然のはずだし、それを想像していた。

けれども終わった今、あそこはこうした方が良かったな。とか、もうちょっとココまでやっとけばよかったな。とか、後悔のようなものまでをも感じる。

オマケに、「おれが想い描いていた旅は、いつもあんなホコリまみれや泥んこじゃなくって、もうちょっとスマートでカッコいいはずだったんだけどな~。」そんな事も。

それに私は、オーストラリアの人々の日常生活、仕事は基本的に時間外勤務はなく、サービス業以外は土日完全休み。
それでいて年に3~4週間の休暇を取り家族や友だちと長期の旅行を楽しみ、きちんと税金を払っていれば医療費は無料、など政府からの保障は厚い。

そういう日本にはないヒューマニズム、人間的だな。と思える暮らしを、まざまざと見てきてしまったので、「この先、ずっとこの日本で暮らすのか。」そういうネガティブな考えも。


出発まえのエネルギッシュでスパルタンなおれは、どこへ行ってしまったんだ。
このていたらくは、いったいなんなんだ。


私は不器用で、ひとつの事を理解出来ないと次にはゆけないタチです。
自分の中でそんなことをハッキリさせたくて、この頃ずっとそんな事を考えていました。

www.youtube.com/embed/uM69-di7gPA?rel=0







それで数ヶ月考えて、私が出した答えはこう。

まだつい最近のことなのに、下した判断に後悔を感じるのは、私はこの旅のあいだにも経験を積み、進化し、強くなり、あの時には見えなかった正確な判断が、今からは見えるから。


そして私が感じていた、せつなくやるせない感情は、文字にすると、

むなしさ、空しさ、虚しさ。


では今、なぜそんな感情を持つのか。

私の今回の旅というものは、今ある日常から抜け出し、束の間の一時期だけ別の環境に出掛け、体を張り、ハメを外し、とっぴょうしもない事をした。

そして自分がいなくてもなにも変わらない、もと通りの安定した生活が保証されている場所に、甘え、期待し、戻って来て、しっぽりとまた収まる。

そこでは旅行中に起きた出来事を別にすれば、自分の人生や運命の上では、なんの責任も取らない。

準備中、いろいろなハードルを乗り越え、大変だったけど、振り返るとそれを楽しく感じた。
これはそういう事で、たとえば私がした事が冒険と呼ぶものだったとしても、きっと同じことでしょう。
だから、終わればとてもむなしいから、またやる。


では今回の旅で、自分の人生での責任や運命を背負いながら旅していた人なんかいたのか?と振り返れば、それはニュージーランド人のヒッチハイカー、ミッシェルでしょう。

私は彼女に、社会逃亡者だの浮浪者だのゴミババアだの、だいぶ失礼な事をいいました。
(ミッシェルとの話はリクエストを沢山もらっていて、このへんはまた追記しますね。)


彼女は、昔ながらのアボリジニのライフスタイルを尊敬し、誰かに貰ったような服を着て、ゴミみたいな荷物を持ちながらも、そのスタイルを嘲笑する人たちに決して屈せず、自分を貫き、根無し草のようにアウトバックをさまよっていました。
なおかつしっかりと、自分に起きるであろう未来の出来事を背負いながら、旅していた。



そんなふうに考えると、いま私たちが生きている人生そのものが、本当の旅や冒険なのかもしれません。



またこの頃人づてに、4WDのロシアン・ラリーのオーガナイザーの方と知合いました。

私はこの辺の帰国後の戸惑いを話すと、「ロシアン・ラリーはあなたの旅より期間は短いけど、やっぱり終わるとしばらくは燃え尽きた灰みたいになってるよ(笑)」


まだココにはアップしていない話ですが、途中に出会ったメルボルンのクリスともメールでやりとりしてます。
「Yoshi,日常生活に戻る事が出来なくて、苦労してるんだよ・・・。」
彼は8ヶ月前に6年半、36万kmの世界一周旅行から帰ってきました。
ですから、私よりもっとリハビリの時間は必要なのでしょう。


「・・・やっぱそうなんだ・・・。」

私は人と同じ事がよしとはしませんが、なんだか浮かばれたような気がします♪



20140118 帰国後1ヵ月経過のころのはなし・マークさん・ジェラートさん来訪・無線APRS

年末に帰国し、当然ながら翌日から忙しく働き・・・。
長年続けている仕事なので、体は動く。

私の職場は工場なんですが、作業場の私の工具棚の備品まで出発の日そのまま。
・・・あの私のファンタスティックな体験は、本当にあったのだろうか。
あれは夢だったのか?でもヒゲ生えてるしなぁ。

一見、何事もなく旅行前の生活に戻ったようにはみえる・・・。
でもね、・・・逆浦島太郎。みたいな感じに戸惑ってる。(笑)


師走の街に、間髪をいれずにジングルベルの音を聴き・・・。

喜びの歌を聴き・・・。

年が替わって琴の音を聴き・・・。

年賀状を下さった方々には、返事も出さずに大変失礼してしまいました・・・。

出発から伸ばしっぱなしだったヒゲは、日本での評判はよろしくない。
現地ではもっとおかしいのがたくさんいるから、そんなにハミ出てなかったんだけどね。


それでは。と、正月休みに黒く染めれば、アラブゲリラみたいだ。とか、白い方がよかった。とか言われ・・・
コレは職場のわたし。自分でいうのもナンですが、やっぱ相当おかしいですよね。(笑)


この時だけ「いいネ!」と言われました(爆笑)









話が変わります。
カメラマンの難波さんを仲介に、「来年ランクルでオーストラリアを2ヶ月間、2万kmの旅行を計画している人たちがいる。話を聞きたい。」そういう方々から連絡をもらいました。
私は現地の情報がなくてとても困ったので、知っていることや体験はお伝えし、協力したいと考えます。
それで、そのKさんとお仲間のみなさんに会いに行った。

たまたまそこに遊びに来ていたのが、彼、マークさん。


まずい事にカメラの電池切れで画像は何枚もないんですけどね(笑)




彼はパリからロシア経由でユーラシア大陸を渡り、カムチャッカから日本に来てからまた帰る。往復2年間。
帰りはどんなルートを通るのか聞くと、バイカル湖を通って行くと言っていました。
今時期だと、普通に-30℃とかあるんですよ(笑)


車の装備も、燃料が凍らないようにするためのヒーターや、とてつもなく大きな容量のバッテリーシステム、400L近い燃料タンク、スパイクタイヤなど、寒冷地特有の仕様が装備されていました。

マークさんのHP

帰国した後も、そんなつながりがどんどん増えて行ってます。







また話が変わります。ジェラートさん来日。
今回、私の事をGoogle MAPで見ていてくれた方は多いと思います。
あれは短波無線・HFのAPRSという遊び。

簡単に表すとこんな感じ。

私の車から一分毎に無線機で信号を発射
今回の電波は短波だから、地面と雲に反射されながら何千キロも飛ぶ
各地にある、i-ゲート局というアマチュア無線の、ボランティア基地局が受信
i-ゲート局はネットにつながっていて、受信と同時に情報を流してくれる
みんながGoogle MAPから簡単に探せる

無線機器のスイッチを入れとくだけで、応援して下さる方々へ、自分の現在位置を報告する事ができる。Googleストリートでだいたいの風景だってわかる。
これから自動車で世界を旅する方は、現地にi-Gateがある国では、ぜひ装備すると面白いと思いますよ。

このころ、シドニーから仲間が来日しました。彼はシドニーの無線i-ゲート局。

旅行中彼は、私の無線機の設定ミスやアンテナ折れの時など、ネットから親切にサポートしてくれ、特にケアンズからパースまでの北部~西部を旅していた時はずっとアンテナに不具合が発生していたので、オーストラリアではシドニーの彼しか設定していない周波数を使って、ずっと皆さんに位置情報を送っていました。

それでシドニー帰還時、直接にお礼を言いたくて訪問したんですが、運悪く会えなかった。
コレは帰着時一週間の、シドニーでの私の走行軌跡。
(余裕がなく、この画像をPCに保存していなかったんですが、師匠が詳細に取っといてくれました。)

シドニーでは忙しく、あちこち走り回ってたんですが、彼の家にも行ってます。

ジェラートさんと友人のケビンさん。日本を旅行しに来ました。
それで、嬉しいことに連絡を下さった。TOKYOにいる時間は僅かだったんですか、シドニーに帰ってしてしまうと簡単には会えません。
それで、滞在してる所は聞いていたので、イチバチで「突撃となりの晩ごはん」みたいに会いに行きました。
当然ながら初対面。


彼らが滞在しているホテルの近くのイザカヤ・バーで歓談してるところ。(笑)
仲よさそうに写ってますが、私は英語はろくに話せません(爆笑)
でもね、人間って言葉が通じなくても会話は出来るんですよ。


訪問を快く受け入れてくれました。会えるかわからないのに、hiro師匠も静岡から駆けつけて下さいました。彼と師匠は無線のベテランなので、無線の話で盛り上がってます。



今は携帯電話やネットがあるので、無線ってあんまり必要ではありませんが、中継局がない広いところでは非常に有効な通信手段です。

コレは北西部、ギブリバーロードを旅していた時1週間の軌跡。
右下シドニーのVK2IOが彼のi-Gateステーションですね。
こんな所からHFの電波はシドニーにしかないi-ゲートまで届いてたんですよ。



オーストラリアでのアウトバックでは、いまは衛星携帯電話や非常用ビーコンがありますが通信コストは決して安くはないので、外部との連絡には普通にHF無線は使われてます。4WD専用のネットワークもありますし、他にも地域や用途別に周波数も決まってます。

日本での最近の話では、震災が起きて通信手段が壊滅してしまった時、最初に外部との連絡がとれたのは自衛隊のヘリコプターから、いまは現役を引退していたHF無線だった。と聞きました。

みなさん、無線って、特にHF(短波)って面白いですよ。








沢木耕太郎さんの「深夜特急」という紀行小説を読んだ事がありますか。
若者が、香港からユーラシア大陸を渡り、ロンドンまで旅する話。

若かった頃、私はこのスタイルの同年代の旅人と出会い、いまでもつながりがある人もいます。
当然のようにみんな、長期の休暇などは取れる訳もなく、みんな自分の未来に責任を持つ。と決めたうえで資金を作り、仕事を辞めて旅に出てゆきました。

・・・それで、帰国するとまず居場所と職探しからはじめる。
いま、私はその辺がないので、とても恵まれた環境ではあります。

それでも、出発前と変わらない居慣れた場所に帰ってきたのに、なにかに戸惑っている自分がいる・・・。
この終わった感がない変なかんじは、なんでなんだろ・・・。

・・・そうか。ずっと一緒にあった車がないからだ!


私は万が一、車が盗難されたりすると、旅の続き、パスポートなど書類の手続き、関税のペナルティなど、一気に難問が起きるので、大きなシティ以外はいつも車が見えるところにいました。


・・・という訳で、車の帰還を旅の終わり。と定義づけることにしました。