・・・それから更に時間は流れて車とも再会しました。
出したのと同じ川崎港の保管ヤード。
車内に積んでいた荷物が往きよりもたくさん盗まれちゃったんですが、車は無事で2ヶ月半ぶり。
やっぱ、いとおしいですね。
この旅で涙がにじんだのは2回。シドニーで受取った時と、この時。
嬉しいのと、「いや~。たいへんだった~~~。」(笑)
でも、やっぱ終わった感じがしないんです。
・・・ウソはつけないんでこれから、ちょっとカッコ悪い話をします。
普通に働けるし人とも接せられるけど、夜ひとりになると燃え尽きた灰みたいになって、明日のジョーみたい。ロスですね。(笑)
この頃は誰と会う気もせずに、考えごとをしながら深夜見たくもないTV画面をずっと眺める。
「心の病になっちまったかな。やべえなぁ。」そんな感じ。
こんなハズじゃねぇ。なぜ落込むのかがわからねぇ。
つらい環境であっても、あんなに楽しかったのに、なんでなんだろ。
この、せつなくやるせない気持ちは、いったい何なんだ。
おれは、はるか昔に立てた目標を目指し、ターゲットを絞り込み、あきらめずに進み続け、そして到達し、完了した。
少しゆるい場面はあったけど、いつも後悔がないように自分をギリギリの所に置いて、やりたい事を取りこぼさないように、後悔は残さないように、ガタガタ道も、暑い所も、夜どおしでも走り続けた。
もともと大した事は出来ないけど、いつもひとりぼっちで自分の限界にチャレンジし、そして乗り越えてきた。
本来なら、やりきった感、満足感、充足感に満ち溢れていて当然のはずだし、それを想像していた。
けれども終わった今、あそこはこうした方が良かったな。とか、もうちょっとココまでやっとけばよかったな。とか、後悔のようなものまでをも感じる。
オマケに、「おれが想い描いていた旅は、いつもあんなホコリまみれや泥んこじゃなくって、もうちょっとスマートでカッコいいはずだったんだけどな~。」そんな事も。
それに私は、オーストラリアの人々の日常生活、仕事は基本的に時間外勤務はなく、サービス業以外は土日完全休み。
それでいて年に3~4週間の休暇を取り家族や友だちと長期の旅行を楽しみ、きちんと税金を払っていれば医療費は無料、など政府からの保障は厚い。
そういう日本にはないヒューマニズム、人間的だな。と思える暮らしを、まざまざと見てきてしまったので、「この先、ずっとこの日本で暮らすのか。」そういうネガティブな考えも。
出発まえのエネルギッシュでスパルタンなおれは、どこへ行ってしまったんだ。
このていたらくは、いったいなんなんだ。
私は不器用で、ひとつの事を理解出来ないと次にはゆけないタチです。
自分の中でそんなことをハッキリさせたくて、この頃ずっとそんな事を考えていました。
www.youtube.com/embed/uM69-di7gPA?rel=0
それで数ヶ月考えて、私が出した答えはこう。
まだつい最近のことなのに、下した判断に後悔を感じるのは、私はこの旅のあいだにも経験を積み、進化し、強くなり、あの時には見えなかった正確な判断が、今からは見えるから。
そして私が感じていた、せつなくやるせない感情は、文字にすると、
では今、なぜそんな感情を持つのか。
私の今回の旅というものは、今ある日常から抜け出し、束の間の一時期だけ別の環境に出掛け、体を張り、ハメを外し、とっぴょうしもない事をした。
そして自分がいなくてもなにも変わらない、もと通りの安定した生活が保証されている場所に、甘え、期待し、戻って来て、しっぽりとまた収まる。
そこでは旅行中に起きた出来事を別にすれば、自分の人生や運命の上では、なんの責任も取らない。
準備中、いろいろなハードルを乗り越え、大変だったけど、振り返るとそれを楽しく感じた。
これはそういう事で、たとえば私がした事が冒険と呼ぶものだったとしても、きっと同じことでしょう。
だから、終わればとてもむなしいから、またやる。
では今回の旅で、自分の人生での責任や運命を背負いながら旅していた人なんかいたのか?と振り返れば、それはニュージーランド人のヒッチハイカー、ミッシェルでしょう。
私は彼女に、社会逃亡者だの浮浪者だのゴミババアだの、だいぶ失礼な事をいいました。
(ミッシェルとの話はリクエストを沢山もらっていて、このへんはまた追記しますね。)
彼女は、昔ながらのアボリジニのライフスタイルを尊敬し、誰かに貰ったような服を着て、ゴミみたいな荷物を持ちながらも、そのスタイルを嘲笑する人たちに決して屈せず、自分を貫き、根無し草のようにアウトバックをさまよっていました。
なおかつしっかりと、自分に起きるであろう未来の出来事を背負いながら、旅していた。
そんなふうに考えると、いま私たちが生きている人生そのものが、本当の旅や冒険なのかもしれません。
またこの頃人づてに、4WDのロシアン・ラリーのオーガナイザーの方と知合いました。
私はこの辺の帰国後の戸惑いを話すと、「ロシアン・ラリーはあなたの旅より期間は短いけど、やっぱり終わるとしばらくは燃え尽きた灰みたいになってるよ(笑)」
まだココにはアップしていない話ですが、途中に出会ったメルボルンのクリスともメールでやりとりしてます。
「Yoshi,日常生活に戻る事が出来なくて、苦労してるんだよ・・・。」
彼は8ヶ月前に6年半、36万kmの世界一周旅行から帰ってきました。
ですから、私よりもっとリハビリの時間は必要なのでしょう。
「・・・やっぱそうなんだ・・・。」
私は人と同じ事がよしとはしませんが、なんだか浮かばれたような気がします♪
出したのと同じ川崎港の保管ヤード。
車内に積んでいた荷物が往きよりもたくさん盗まれちゃったんですが、車は無事で2ヶ月半ぶり。
やっぱ、いとおしいですね。
この旅で涙がにじんだのは2回。シドニーで受取った時と、この時。
嬉しいのと、「いや~。たいへんだった~~~。」(笑)
でも、やっぱ終わった感じがしないんです。
・・・ウソはつけないんでこれから、ちょっとカッコ悪い話をします。
普通に働けるし人とも接せられるけど、夜ひとりになると燃え尽きた灰みたいになって、明日のジョーみたい。ロスですね。(笑)
この頃は誰と会う気もせずに、考えごとをしながら深夜見たくもないTV画面をずっと眺める。
「心の病になっちまったかな。やべえなぁ。」そんな感じ。
こんなハズじゃねぇ。なぜ落込むのかがわからねぇ。
つらい環境であっても、あんなに楽しかったのに、なんでなんだろ。
この、せつなくやるせない気持ちは、いったい何なんだ。
おれは、はるか昔に立てた目標を目指し、ターゲットを絞り込み、あきらめずに進み続け、そして到達し、完了した。
少しゆるい場面はあったけど、いつも後悔がないように自分をギリギリの所に置いて、やりたい事を取りこぼさないように、後悔は残さないように、ガタガタ道も、暑い所も、夜どおしでも走り続けた。
もともと大した事は出来ないけど、いつもひとりぼっちで自分の限界にチャレンジし、そして乗り越えてきた。
けれども終わった今、あそこはこうした方が良かったな。とか、もうちょっとココまでやっとけばよかったな。とか、後悔のようなものまでをも感じる。
オマケに、「おれが想い描いていた旅は、いつもあんなホコリまみれや泥んこじゃなくって、もうちょっとスマートでカッコいいはずだったんだけどな~。」そんな事も。
それに私は、オーストラリアの人々の日常生活、仕事は基本的に時間外勤務はなく、サービス業以外は土日完全休み。
それでいて年に3~4週間の休暇を取り家族や友だちと長期の旅行を楽しみ、きちんと税金を払っていれば医療費は無料、など政府からの保障は厚い。
そういう日本にはないヒューマニズム、人間的だな。と思える暮らしを、まざまざと見てきてしまったので、「この先、ずっとこの日本で暮らすのか。」そういうネガティブな考えも。
出発まえのエネルギッシュでスパルタンなおれは、どこへ行ってしまったんだ。
このていたらくは、いったいなんなんだ。
私は不器用で、ひとつの事を理解出来ないと次にはゆけないタチです。
自分の中でそんなことをハッキリさせたくて、この頃ずっとそんな事を考えていました。
www.youtube.com/embed/uM69-di7gPA?rel=0
それで数ヶ月考えて、私が出した答えはこう。
まだつい最近のことなのに、下した判断に後悔を感じるのは、私はこの旅のあいだにも経験を積み、進化し、強くなり、あの時には見えなかった正確な判断が、今からは見えるから。
そして私が感じていた、せつなくやるせない感情は、文字にすると、
むなしさ、空しさ、虚しさ。
では今、なぜそんな感情を持つのか。
私の今回の旅というものは、今ある日常から抜け出し、束の間の一時期だけ別の環境に出掛け、体を張り、ハメを外し、とっぴょうしもない事をした。
そして自分がいなくてもなにも変わらない、もと通りの安定した生活が保証されている場所に、甘え、期待し、戻って来て、しっぽりとまた収まる。
そこでは旅行中に起きた出来事を別にすれば、自分の人生や運命の上では、なんの責任も取らない。
準備中、いろいろなハードルを乗り越え、大変だったけど、振り返るとそれを楽しく感じた。
これはそういう事で、たとえば私がした事が冒険と呼ぶものだったとしても、きっと同じことでしょう。
だから、終わればとてもむなしいから、またやる。
では今回の旅で、自分の人生での責任や運命を背負いながら旅していた人なんかいたのか?と振り返れば、それはニュージーランド人のヒッチハイカー、ミッシェルでしょう。
私は彼女に、社会逃亡者だの浮浪者だのゴミババアだの、だいぶ失礼な事をいいました。
(ミッシェルとの話はリクエストを沢山もらっていて、このへんはまた追記しますね。)
なおかつしっかりと、自分に起きるであろう未来の出来事を背負いながら、旅していた。
そんなふうに考えると、いま私たちが生きている人生そのものが、本当の旅や冒険なのかもしれません。
またこの頃人づてに、4WDのロシアン・ラリーのオーガナイザーの方と知合いました。
私はこの辺の帰国後の戸惑いを話すと、「ロシアン・ラリーはあなたの旅より期間は短いけど、やっぱり終わるとしばらくは燃え尽きた灰みたいになってるよ(笑)」
「Yoshi,日常生活に戻る事が出来なくて、苦労してるんだよ・・・。」
彼は
ですから、私よりもっとリハビリの時間は必要なのでしょう。
「・・・やっぱそうなんだ・・・。」
私は人と同じ事がよしとはしませんが、なんだか浮かばれたような気がします♪