私の車には名前があります。ホワイトシャーク4号。
我が家では代々、白い車はホワイトシャーク号を襲名します。その四代目。
青ならブルーサンダー号。
深い意味はありません。これは代々受け継がれる家訓のようなもの。(笑)
以下は、こういうふざけた内容なので、基本スルーでお願いします(笑)
「この車はアナタの旅にはベストチョイスだね。どうしてこの車を選んだの?」
「なぜオーストラリアで簡単に手に入る車を、高いコストをかけて日本から運んだんだい?」
道中、どこにいっても聞かれました。
ニュージーランド人のミッシェルと旅をしていたとき、彼女にも同じことや、なぜアウトバックを旅しているのか?と聞かれました。
彼女は日本語も少し理解できたので、9日間一緒にいましたし、ドライブしながら長話ができました。
その時の話をしましょう。
ああ、この車を選んだ理由かい?みんな聞くよ。いいよ。話せるよ。
私が若者だった頃からだ。ストーリーは長いけど、準備はいいかい?(ニヤリ)
今は時間がたくさんあるから、最初から話せるよ。
私はモーターバイクが大好きだった。ハイティーンのころさ。
そのバイクでソロや、仲間とツーリングをした。楽しかったよ。
あるとき、日本の広さを自分で確かめたくなった。1987年、21歳だった。
私はTOKYOの隣に住んでるけど、行ったことがあったのは、電車で南はOSAKA、北はAOMORIまでだった。
私は大好きなKAWASAKIと一緒に、遠くにゆきたかった。でも怖かったんだ。
バイクで遠くなんて、行ったことがなかったからね。テントで眠った事もなかった。
ミッシェルはHAKATAに住んでた。って言ったよね。
私は、KYUSYUを目指した。2週間の予定だった。遠くなんて行ったことがなかったし、それで十分だと考えたんだ。
お金がなかったから、宿はユース・ホステルを使ったんだけど、私と同じ、たくさんのソロ・ツーリストに出会った。
その中には、今でもコンタクトを取っている人たちがいるよ。
みんなの話を聞くうち、ほかの場所にも興味を持った。日本ではそんな旅をするのは難しいし、せっかくだから。と場所をつないでいるうちに、6ヶ月の間、日本中を走り回っていた。楽しかったよ。
そこで出会った人に「HOKKAIDOで、ホライズン(地平線)が見れるらしいよ。」そんな話を聞いた。
私は見渡す限りの地平線を、どうしても見たくなり、HOKKAIDOに行った。
HOKKAIDOには日本で一番長い、ストレート・ウエイ(直線道路)があるんだ。20kmくらい。
私は期待して走った。日本で一番長い直線なんだから。
でもね、ゆっくり走っても20分くらいで走りきってしまった。
そして、地平線が見れると聞いた場所で私が見たのは、水平線と山の稜線だった。
これは地平線ではない。私はそう感じたんだ。
岬のライトハウス(灯台)のビームってね、40km届くんだよ。地球は丸いから、ビームはそれ以上届かないんだ。
だから、40km先まで見通せる平らなところで、木とか邪魔なものがない所からなら、ホライズンは見える。
それが一周なら360°のホライズンだ。でもね、日本にそういう場所はなかった。
「日本って狭いな。」そう思ったよ。
では、見渡す限りの地平線は、どこへ行ったら見れるんだろう?
世界って、どの位広いんだろう? と、自分の目で確かめたくなった。それが外国に目を向けるきっかけだったんだ。
外国に行きたくて、3年間たくさん働いて、資金を作った。
地球の大きさを確かめられるところなら、どこでもよかった。大好きなバイクで、どこまでも走りたかったんだ。
候補はいくつかあった。
シルクロード、アフリカのサハラ砂漠、アラスカから南アメリカに続く,パンアメリカン・ハイウエイ。そして、オーストラリアのアウトバックだった。
私はオーストラリアをチョイスした。赤い大地に、一番興味を持ったんだ。
それに、初めて外国に出る私には、行きやすかった。
そして1990年1月に出発した。飛行機に乗ったのは、生まれて初めてだったよ。
飛行機で、私は読めない英語のイミグレーション・カードを隣のシートの人に聞きながら書いて、汗びっしょりさ。
期待と不安で眠れなかった。その晩泊まる宿も、決めてないんだから。
シドニーの空港に着いて、到着ロビーに出たら、金色の人波に驚いたよ。
ブロンドヘアーの人が多いからね。日本には無い眺めだった。
肩が当たって、”Sorry!”なんてイングリッシュであやまられてさ。
圧倒されて、しばらくベンチに座って、立てなかったよ。
英語かい?今だってしゃべれないさ。(笑)
私はなにも知らなかったし、できなかった。
でも、"I wanna go to Outback trip !"(おれはアウトバックの旅をしたいんだ!)”と、目標を持っていた。
そのパッション(情熱)だけが、私のすべてだったよ。
オーストラリアは私にとって、グッドチョイスだった。
大平原を横断している時、ダート・ロードでも夜明けから、西に向かって、日暮れまで走ると、500km走れる。そうするとね、サンセットが毎日、30分ずつ延びるのさ。
東に向かうとサンライズが、30分ずつ早くなる。
そうなんだ。私は日本には無い、タイム・ディファレンス(時差)を体験したんだ。
そのとき私は、心から感じたんだ。「ああ、地球って広いんだな。丸くて回ってるんだな。」
ホライズンかい? 見たよ。遠くにオルガが見えてね。360°だ。エアーズロックの頂上でさ。
いまでも忘れない。私にはショックな経験だったよ。
1990年に旅した時はね、モーター・バイクだったんだ。シドニーでHONDAを買い、砂漠のストック・ルートを縦断するために、ノー・サプライで1300kmを走れるように改造して出発した。
それぐらい走れるようにしておけば、世界一周だって出来ると思ってた。
でもね、私の予想を超えたハード・コンディションや、自分の経験、知識、装備が足りなくって全部のタスクはコンプリート(完了)できなかったんだ。
インターネットもなかったしね。持っていた情報は、日本で買える地図とガイドブック、雑誌の切り抜きだけだった。 そこに、正確なアウトバックの情報はなかった。
無給油で走る事が必要な区間は、じつは2000kmだったんだ。
オーストラリアは暑いから、アウトドア・シーズンは冬だよね。
バイクや車でオーストラリア北部、ヨーク半島やガルフ地方、アーネム・ランド、キンバリーを旅するとき、夏(雨季)は選んじゃいけない事は、誰だって知ってる。
砂漠だって夏に入る時は、スペシャルな装備と信頼できる仲間が、特に必要だ。
人間にとっては暑すぎるし、道はフルードして何ヶ月も通れないからね。
そんな事も知らずに、夏に来てしまった。
知識や経験、装備が乏しいとき、対処できないことが起きた時のことを考えると、怖いよね?
私は、ハードなグレイト・アウトバック・トリップをするには、幼稚で未熟だったのさ。
走りながらチャレンジ・ステージの入り口が近づいてくると、どんどん不安が大きくなる。
(・・・ここで、日本人も外国の人も、遭難してたくさん死んでるんだ。・・・)
そして、長いストックルートの入り口で、どうしても入ってゆけない時が何度かあった。
おかしいいよね。そのためにわざわざ日本から来てるのに。
私は自分の中の恐怖に、耐えられなくて、負けたんだ。そして、そこから逃げたんだ。
私は帰国後もしばらくの間、弱虫の自分が嫌いだった。でもその事に、今は感謝してるよ。
体はノー・ダメージで帰ったから、またチャレンジしに来れたしね。
10年くらい後、だれか探検家の本を読んで私は救われたよ。こう書いてあったんだ。
「探検家はみな慎重で臆病だ。さもなければ遭難して、帰ってこれない。それがリーダーなら、仲間は全滅する。」
ホラ、私のクルマのボディに書いてあるだろ?
~Challenge to unmatured my self 20 yrs ago~(20年前の未熟な自分への挑戦)
いや、日本では、私は車にシールは貼らないよ。今回は私のスペシャル・ステージだから、特別だ。
私は臆病で、ズルくて、おまけに逃げ足が速いからね。
自分に都合が悪い時には、言い訳をして、チキンより早く逃げるのさ。(笑)
だからね、逃げたいと思う、つらく苦しい時に見えるように、ここに書いてある。
いま何をするために、ここにいるのか。って考えるためさ。自分だけ読めればいいから、読みにくいフォントで書いてもらったよ。
いや、3ヵ月旅してるけど、今回はまだ怖いと思ったことはないよ。
ゆきたい所にはひとりで、どこにでも入るよ。トラブルも全てが楽しい。
必要な装備や知識や経験が増えてるからだと思うよ。
(この時はまだ、キャニング・ストック・ルートに入る前だった・滝汗)
その時のセカンド・ステージが今回の旅なんだけど、
私の旅のテーマは”ひとりで、1台で、どこまでできるのか”
このテーマは、若い頃から変わってない。
人類がさ、知恵と力を合わせれば、地球のどこにだってゆける。
寒い所、暑い所、高い所、地面の下、月や宇宙にだってゆける。
いま生身の人間がゆけない所は、深い海の底くらいじゃないかな?
でもね、”自分ひとりで”、という条件では、出来ることは、とてもとても小さい。
では、自分はどんな事がどれ位できるんだろう。若者だったころ、そこに興味があった。
今は家族がある。私は家族は自分の一部だと考えるから、希望するなら同行を許すよ。
1990年のアウトバック・トリップから帰った後、出来なかった事を完了するために、20年後にリトライ(再挑戦)する事にした。
私はリッチマンじゃないし、仕事、結婚、ベイビー、すぐに次の旅には出発できなかった。
次に備える、長い時間が必要だったんだ。
こういう場合、日本人はよくリベンジ(復讐)という言葉を使うけど、私はこの言葉は好きじゃない。オーストラリアには感謝しているから、復讐する理由がないんだ。
私はリトライと言ってる。そう、自分へのさ。
経験から、単独のバイクでは燃料、水、物資など、不可能なことがわかったので、次は4WDにすることにした。
悪路の旅をするのに、走破性に優れる乗り物は何か。私は深く考えたよ。
ちょっと考えると、それはタイヤでは無いことがわかる。
そう、キャタピラだ。
鉱山で使うヘビィ・マシン(重機)やアーミーの乗り物を見れば理解は簡単だよね。
日本でもクロウラーっていう、車のタイヤと交換して使うキャタピラが、スキー場で使われている。でもそれは、アウトバック・ツーリングには使えない。
たとえば走破性を上げたいのなら、タイヤを大きなものにリプレイスすればいい。
でも、それを回せる大きなエンジン・パワーが必要になるし、ディファレンシャル・ギアやプロペラシャフト、トランスミッションやトランスファー、クラッチのパワー・トレインも強くしなければ、どこかが壊れてしまう。
外国で旅する時は、壊れた部品がすぐに手に入らなくてはいけないけど、旅はレースじゃないからね。ひとりでサポートがない私に、それは不可能だった。
個人で持てる車でも、メルセデスのトラックとか、パーソナルでも手に入る軍用車とか、走破性の高い車は多いよ。でも私は、普段のデイリー・ユースしている自分の車でやりたかったんだ。
そう考えると、バランスよく、もともとストロングに作られている車がいい。
私は金持ちじゃないし、ランニングコストもあるから、デイリー・ユース出来なかったり、値段が高い車はダメだ。
どれを選んだらいいかがわからなかったので、詳しい人に意見を求めた。
当時、私は車の知識はなくて、4WD=JEEPだった。でもJEEPは頑丈で走破性が高いんだけど、カーゴは小さくて物資はたくさん積めないから、サポートが必要になる。
”20年後にオーストラリアの砂漠を旅したい。ベストチョイスはどんな車か?”
4WDに詳しい人へアドバイスを求めた。
”オーストラリアには古くからTOYOTAが入っているから、部品調達や整備に有利だ。”
”日本製の車は壊れないから、圧倒的な信頼を得ている。
4WDはワールド・ワイドとストロングさで選ぶと、ランドクルーザーしかない。”
”ランクルにはいくつかモデルがある。車軸のバネが、板バネのやつを選べ。
壊れにくいし、走れなくなっても引っ叩けば、動くようにはなる可能性が高い。乗りゃあわかるよ。”
彼はそうアドバイスをくれた。
私は自分でも調べた。
当時のパリ・ダカールラリーの無改造クラスでは、そのランクルが上位3位を独占していた。
非力で遅いけど頑丈だから、長距離のラリー・レイドでは、速い車がトラブルでドロップ・アウトしていった後に、結果として最後まで残るんだね。
そうだね。よく知ってるね。日本の”ウサギとカメの話”に似ているね。
まさに私の旅にピッタリだった。
それでね、私は日本で手に入る、リーフ・スプリング(板バネ)の、そのランクルを買った。
その車で4WDの練習と、旅の準備をするためさ。
2000kmを無給油で走る必要があったから、長距離をノー・サプライ(無補給)で走れるようにするために、レース用のエクストラ燃料タンクは、どう積めばいいのか。そんな事を考えていた。
日本ではそんな物は必要ないから、私はファニー(変わり者)扱いされたよ。
7年間乗った時、日本のガバメント・ガス・コントロール・ルール(政府の排ガス規制)の法律が変わって、私の住んでいる場所でその車は、走れなくなってしまった。
でも私は、走ることが出来ない車をキープしている余裕はなかったよ。ベストの車だったのに。
次の車はどれにすればいいのか迷っていた時、仲間が教えてくれたんだ。
”同じタイプのランクルで、エクスポート・モデル(輸出仕様)に、トゥループ・キャリア(兵員輸送車)という名の、燃料タンクが2個ついて、さらにカーゴ(荷台)にドラム缶がまるごと積めるような、ストロング(頑丈)なランクルがあるらしいぜ。”
私は次は、その車にしようと考えた。
日本にもこの車はエクスポート・リターン(逆輸入)で入ってるよ。オーストラリアやアフリカ、南米、中東のようにワーク・ホースではなく、数は少ないけど、マニアのスペシャリティ・カーとして存在する。
日本はオーストラリアより車は安いが、このランクルは高いよ。ココと同じくらいだね。
私はその車を買った。60ヶ月のクレジットでね。家じゃないゾ、車に5年のクレジットだ。(笑)
この旅に必要だったからさ。
ぺトロール(ガソリン)・エンジンのモデルだった。ハイパワーでサイレントで、最高だったよ。
今回も、その車を持ってくるつもりだったんだ。ただ、ロング・ディスタンス(長距離走行)では、少しばかり食いしんぼうだった。
ああ、そうだね。輸送コストもあるし、同じクルマをオーストラリアで買ったほうが、ずっとチープ(安価)だよ。
私はアウトバックをひとりで旅するから、ウォーター・タンクやウインチ、車に多くのスペシャル・ギアをつける必要があったし、グループ・ツーリングでは分担して持つ装備や、数台いれば必要が無い装備も、ひとりでぜんぶ持つ。
それらを渡航後に短期で装備するのは、時間的に難しかったし、私が車のメンテナンスやギア(道具)にも、扱いに慣れている必要があった。
私はモーター・バイクは走らせられたけど、4WDの事は何も知らなかったからね。
4WDの扱い方、スタックした時のリカバリーやレスキュー、メンテナンスや修理も勉強したかった。
それに、コンディションがわからない中古車や道具に自分の命を賭けることは、私には出来なかったよ。
3年前にレンタカーでオーストラリアを走ったことは話したよね?そう、私自身のテストだった。
その時に使った車が、ディーゼル・エンジンだったんだ。
パワーはぺトロールに比べると非力だったけど、低いエンジン回転の大きなトルクや、同じ量の燃料での航続距離が長いことに驚いた。エクストラ燃料を持つ量を、少なくてすむからね。
ディーゼル・エンジンにはスパーク・プラグがないから、エンジン・トラブルが起きにくいのもメリットさ。
いや、レンタカーはアウトバックのリモート・エリアをを走るとき、たくさんの立入り制限があるから、今回の旅には使えないんだ。壊れたり、修理が必要の時にレスキューやリペアが不可能だからね。
ディーゼル・エンジンが気になっていたとき、偶然に仲間が同じ車のディーゼル・モデルを手放すことになって、私が引き継いだ。
私が乗っていたぺトロール・モデルは、別の友達が大切に乗ってくれてる。
この選択は、今回の旅ではベスト・チョイスだったよ。
ミッシェル、これが今あなたが乗ってる、この車を選ぶまでのストーリーなんだ。
私は準備期間中、「オーストラリアをランクルで長距離の旅した人がいるけど、足回りやエンジン内部も細かい砂の影響を受け、元通りに出来ないくらいダメージを受けて、結局ボロボロで廃車にしたらしいよ。」
そういう話をいくつか聞きました。
ホワイトシャーク号も、そうなっちゃうのかしら。こええ。
でも道中、延長線上に,深刻なものがあるトラブルは幾つかありましたが、走行不能に陥るような事はなく、結果として壊れたのは、自分がつけた部品だけ。(爆笑)
帰還したいま、私が経験からいえる事は、
「アウトバックでの37000kmぐらいの旅ならランクルは、ぜえんぜんへいき!」(爆笑)
この10倍くらいは無難にイケそうです。
みなさん、ランドクルーザーは丈夫ですよ。
我が家では代々、白い車はホワイトシャーク号を襲名します。その四代目。
青ならブルーサンダー号。
深い意味はありません。これは代々受け継がれる家訓のようなもの。(笑)
以下は、こういうふざけた内容なので、基本スルーでお願いします(笑)
「この車はアナタの旅にはベストチョイスだね。どうしてこの車を選んだの?」
「なぜオーストラリアで簡単に手に入る車を、高いコストをかけて日本から運んだんだい?」
道中、どこにいっても聞かれました。
ニュージーランド人のミッシェルと旅をしていたとき、彼女にも同じことや、なぜアウトバックを旅しているのか?と聞かれました。
彼女は日本語も少し理解できたので、9日間一緒にいましたし、ドライブしながら長話ができました。
その時の話をしましょう。
ああ、この車を選んだ理由かい?みんな聞くよ。いいよ。話せるよ。
私が若者だった頃からだ。ストーリーは長いけど、準備はいいかい?(ニヤリ)
今は時間がたくさんあるから、最初から話せるよ。
私はモーターバイクが大好きだった。ハイティーンのころさ。
そのバイクでソロや、仲間とツーリングをした。楽しかったよ。
あるとき、日本の広さを自分で確かめたくなった。1987年、21歳だった。
私はTOKYOの隣に住んでるけど、行ったことがあったのは、電車で南はOSAKA、北はAOMORIまでだった。
私は大好きなKAWASAKIと一緒に、遠くにゆきたかった。でも怖かったんだ。
バイクで遠くなんて、行ったことがなかったからね。テントで眠った事もなかった。
ミッシェルはHAKATAに住んでた。って言ったよね。
私は、KYUSYUを目指した。2週間の予定だった。遠くなんて行ったことがなかったし、それで十分だと考えたんだ。
お金がなかったから、宿はユース・ホステルを使ったんだけど、私と同じ、たくさんのソロ・ツーリストに出会った。
その中には、今でもコンタクトを取っている人たちがいるよ。
みんなの話を聞くうち、ほかの場所にも興味を持った。日本ではそんな旅をするのは難しいし、せっかくだから。と場所をつないでいるうちに、6ヶ月の間、日本中を走り回っていた。楽しかったよ。
そこで出会った人に「HOKKAIDOで、ホライズン(地平線)が見れるらしいよ。」そんな話を聞いた。
私は見渡す限りの地平線を、どうしても見たくなり、HOKKAIDOに行った。
HOKKAIDOには日本で一番長い、ストレート・ウエイ(直線道路)があるんだ。20kmくらい。
私は期待して走った。日本で一番長い直線なんだから。
でもね、ゆっくり走っても20分くらいで走りきってしまった。
そして、地平線が見れると聞いた場所で私が見たのは、水平線と山の稜線だった。
これは地平線ではない。私はそう感じたんだ。
岬のライトハウス(灯台)のビームってね、40km届くんだよ。地球は丸いから、ビームはそれ以上届かないんだ。
だから、40km先まで見通せる平らなところで、木とか邪魔なものがない所からなら、ホライズンは見える。
それが一周なら360°のホライズンだ。でもね、日本にそういう場所はなかった。
「日本って狭いな。」そう思ったよ。
では、見渡す限りの地平線は、どこへ行ったら見れるんだろう?
世界って、どの位広いんだろう? と、自分の目で確かめたくなった。それが外国に目を向けるきっかけだったんだ。
外国に行きたくて、3年間たくさん働いて、資金を作った。
地球の大きさを確かめられるところなら、どこでもよかった。大好きなバイクで、どこまでも走りたかったんだ。
候補はいくつかあった。
シルクロード、アフリカのサハラ砂漠、アラスカから南アメリカに続く,パンアメリカン・ハイウエイ。そして、オーストラリアのアウトバックだった。
私はオーストラリアをチョイスした。赤い大地に、一番興味を持ったんだ。
それに、初めて外国に出る私には、行きやすかった。
そして1990年1月に出発した。飛行機に乗ったのは、生まれて初めてだったよ。
飛行機で、私は読めない英語のイミグレーション・カードを隣のシートの人に聞きながら書いて、汗びっしょりさ。
期待と不安で眠れなかった。その晩泊まる宿も、決めてないんだから。
シドニーの空港に着いて、到着ロビーに出たら、金色の人波に驚いたよ。
ブロンドヘアーの人が多いからね。日本には無い眺めだった。
肩が当たって、”Sorry!”なんてイングリッシュであやまられてさ。
圧倒されて、しばらくベンチに座って、立てなかったよ。
英語かい?今だってしゃべれないさ。(笑)
私はなにも知らなかったし、できなかった。
でも、"I wanna go to Outback trip !"(おれはアウトバックの旅をしたいんだ!)”と、目標を持っていた。
そのパッション(情熱)だけが、私のすべてだったよ。
オーストラリアは私にとって、グッドチョイスだった。
大平原を横断している時、ダート・ロードでも夜明けから、西に向かって、日暮れまで走ると、500km走れる。そうするとね、サンセットが毎日、30分ずつ延びるのさ。
東に向かうとサンライズが、30分ずつ早くなる。
そうなんだ。私は日本には無い、タイム・ディファレンス(時差)を体験したんだ。
そのとき私は、心から感じたんだ。「ああ、地球って広いんだな。丸くて回ってるんだな。」
ホライズンかい? 見たよ。遠くにオルガが見えてね。360°だ。エアーズロックの頂上でさ。
いまでも忘れない。私にはショックな経験だったよ。
1990年に旅した時はね、モーター・バイクだったんだ。シドニーでHONDAを買い、砂漠のストック・ルートを縦断するために、ノー・サプライで1300kmを走れるように改造して出発した。
それぐらい走れるようにしておけば、世界一周だって出来ると思ってた。
でもね、私の予想を超えたハード・コンディションや、自分の経験、知識、装備が足りなくって全部のタスクはコンプリート(完了)できなかったんだ。
インターネットもなかったしね。持っていた情報は、日本で買える地図とガイドブック、雑誌の切り抜きだけだった。 そこに、正確なアウトバックの情報はなかった。
無給油で走る事が必要な区間は、じつは2000kmだったんだ。
オーストラリアは暑いから、アウトドア・シーズンは冬だよね。
バイクや車でオーストラリア北部、ヨーク半島やガルフ地方、アーネム・ランド、キンバリーを旅するとき、夏(雨季)は選んじゃいけない事は、誰だって知ってる。
砂漠だって夏に入る時は、スペシャルな装備と信頼できる仲間が、特に必要だ。
人間にとっては暑すぎるし、道はフルードして何ヶ月も通れないからね。
そんな事も知らずに、夏に来てしまった。
1990
アウトバックの中では、いつも怖くてたまらなかった。知識や経験、装備が乏しいとき、対処できないことが起きた時のことを考えると、怖いよね?
私は、ハードなグレイト・アウトバック・トリップをするには、幼稚で未熟だったのさ。
走りながらチャレンジ・ステージの入り口が近づいてくると、どんどん不安が大きくなる。
(・・・ここで、日本人も外国の人も、遭難してたくさん死んでるんだ。・・・)
そして、長いストックルートの入り口で、どうしても入ってゆけない時が何度かあった。
おかしいいよね。そのためにわざわざ日本から来てるのに。
私は自分の中の恐怖に、耐えられなくて、負けたんだ。そして、そこから逃げたんだ。
私は帰国後もしばらくの間、弱虫の自分が嫌いだった。でもその事に、今は感謝してるよ。
体はノー・ダメージで帰ったから、またチャレンジしに来れたしね。
10年くらい後、だれか探検家の本を読んで私は救われたよ。こう書いてあったんだ。
「探検家はみな慎重で臆病だ。さもなければ遭難して、帰ってこれない。それがリーダーなら、仲間は全滅する。」
ホラ、私のクルマのボディに書いてあるだろ?
~Challenge to unmatured my self 20 yrs ago~(20年前の未熟な自分への挑戦)
いや、日本では、私は車にシールは貼らないよ。今回は私のスペシャル・ステージだから、特別だ。
私は臆病で、ズルくて、おまけに逃げ足が速いからね。
自分に都合が悪い時には、言い訳をして、チキンより早く逃げるのさ。(笑)
だからね、逃げたいと思う、つらく苦しい時に見えるように、ここに書いてある。
いま何をするために、ここにいるのか。って考えるためさ。自分だけ読めればいいから、読みにくいフォントで書いてもらったよ。
いや、3ヵ月旅してるけど、今回はまだ怖いと思ったことはないよ。
ゆきたい所にはひとりで、どこにでも入るよ。トラブルも全てが楽しい。
必要な装備や知識や経験が増えてるからだと思うよ。
(この時はまだ、キャニング・ストック・ルートに入る前だった・滝汗)
その時のセカンド・ステージが今回の旅なんだけど、
私の旅のテーマは”ひとりで、1台で、どこまでできるのか”
このテーマは、若い頃から変わってない。
人類がさ、知恵と力を合わせれば、地球のどこにだってゆける。
寒い所、暑い所、高い所、地面の下、月や宇宙にだってゆける。
いま生身の人間がゆけない所は、深い海の底くらいじゃないかな?
でもね、”自分ひとりで”、という条件では、出来ることは、とてもとても小さい。
では、自分はどんな事がどれ位できるんだろう。若者だったころ、そこに興味があった。
今は家族がある。私は家族は自分の一部だと考えるから、希望するなら同行を許すよ。
1990年のアウトバック・トリップから帰った後、出来なかった事を完了するために、20年後にリトライ(再挑戦)する事にした。
私はリッチマンじゃないし、仕事、結婚、ベイビー、すぐに次の旅には出発できなかった。
次に備える、長い時間が必要だったんだ。
私はリトライと言ってる。そう、自分へのさ。
経験から、単独のバイクでは燃料、水、物資など、不可能なことがわかったので、次は4WDにすることにした。
悪路の旅をするのに、走破性に優れる乗り物は何か。私は深く考えたよ。
ちょっと考えると、それはタイヤでは無いことがわかる。
そう、キャタピラだ。
鉱山で使うヘビィ・マシン(重機)やアーミーの乗り物を見れば理解は簡単だよね。
日本でもクロウラーっていう、車のタイヤと交換して使うキャタピラが、スキー場で使われている。でもそれは、アウトバック・ツーリングには使えない。
たとえば走破性を上げたいのなら、タイヤを大きなものにリプレイスすればいい。
でも、それを回せる大きなエンジン・パワーが必要になるし、ディファレンシャル・ギアやプロペラシャフト、トランスミッションやトランスファー、クラッチのパワー・トレインも強くしなければ、どこかが壊れてしまう。
外国で旅する時は、壊れた部品がすぐに手に入らなくてはいけないけど、旅はレースじゃないからね。ひとりでサポートがない私に、それは不可能だった。
個人で持てる車でも、メルセデスのトラックとか、パーソナルでも手に入る軍用車とか、走破性の高い車は多いよ。でも私は、普段のデイリー・ユースしている自分の車でやりたかったんだ。
そう考えると、バランスよく、もともとストロングに作られている車がいい。
私は金持ちじゃないし、ランニングコストもあるから、デイリー・ユース出来なかったり、値段が高い車はダメだ。
当時、私は車の知識はなくて、4WD=JEEPだった。でもJEEPは頑丈で走破性が高いんだけど、カーゴは小さくて物資はたくさん積めないから、サポートが必要になる。
”20年後にオーストラリアの砂漠を旅したい。ベストチョイスはどんな車か?”
4WDに詳しい人へアドバイスを求めた。
”オーストラリアには古くからTOYOTAが入っているから、部品調達や整備に有利だ。”
”日本製の車は壊れないから、圧倒的な信頼を得ている。
4WDはワールド・ワイドとストロングさで選ぶと、ランドクルーザーしかない。”
”ランクルにはいくつかモデルがある。車軸のバネが、板バネのやつを選べ。
壊れにくいし、走れなくなっても引っ叩けば、動くようにはなる可能性が高い。乗りゃあわかるよ。”
彼はそうアドバイスをくれた。
私は自分でも調べた。
当時のパリ・ダカールラリーの無改造クラスでは、そのランクルが上位3位を独占していた。
非力で遅いけど頑丈だから、長距離のラリー・レイドでは、速い車がトラブルでドロップ・アウトしていった後に、結果として最後まで残るんだね。
そうだね。よく知ってるね。日本の”ウサギとカメの話”に似ているね。
まさに私の旅にピッタリだった。
それでね、私は日本で手に入る、リーフ・スプリング(板バネ)の、そのランクルを買った。
その車で4WDの練習と、旅の準備をするためさ。
2000kmを無給油で走る必要があったから、長距離をノー・サプライ(無補給)で走れるようにするために、レース用のエクストラ燃料タンクは、どう積めばいいのか。そんな事を考えていた。
日本ではそんな物は必要ないから、私はファニー(変わり者)扱いされたよ。
7年間乗った時、日本のガバメント・ガス・コントロール・ルール(政府の排ガス規制)の法律が変わって、私の住んでいる場所でその車は、走れなくなってしまった。
でも私は、走ることが出来ない車をキープしている余裕はなかったよ。ベストの車だったのに。
次の車はどれにすればいいのか迷っていた時、仲間が教えてくれたんだ。
”同じタイプのランクルで、エクスポート・モデル(輸出仕様)に、トゥループ・キャリア(兵員輸送車)という名の、燃料タンクが2個ついて、さらにカーゴ(荷台)にドラム缶がまるごと積めるような、ストロング(頑丈)なランクルがあるらしいぜ。”
私は次は、その車にしようと考えた。
日本にもこの車はエクスポート・リターン(逆輸入)で入ってるよ。オーストラリアやアフリカ、南米、中東のようにワーク・ホースではなく、数は少ないけど、マニアのスペシャリティ・カーとして存在する。
私はその車を買った。60ヶ月のクレジットでね。家じゃないゾ、車に5年のクレジットだ。(笑)
この旅に必要だったからさ。
ぺトロール(ガソリン)・エンジンのモデルだった。ハイパワーでサイレントで、最高だったよ。
今回も、その車を持ってくるつもりだったんだ。ただ、ロング・ディスタンス(長距離走行)では、少しばかり食いしんぼうだった。
私はアウトバックをひとりで旅するから、ウォーター・タンクやウインチ、車に多くのスペシャル・ギアをつける必要があったし、グループ・ツーリングでは分担して持つ装備や、数台いれば必要が無い装備も、ひとりでぜんぶ持つ。
それらを渡航後に短期で装備するのは、時間的に難しかったし、私が車のメンテナンスやギア(道具)にも、扱いに慣れている必要があった。
私はモーター・バイクは走らせられたけど、4WDの事は何も知らなかったからね。
4WDの扱い方、スタックした時のリカバリーやレスキュー、メンテナンスや修理も勉強したかった。
それに、コンディションがわからない中古車や道具に自分の命を賭けることは、私には出来なかったよ。
3年前にレンタカーでオーストラリアを走ったことは話したよね?そう、私自身のテストだった。
その時に使った車が、ディーゼル・エンジンだったんだ。
パワーはぺトロールに比べると非力だったけど、低いエンジン回転の大きなトルクや、同じ量の燃料での航続距離が長いことに驚いた。エクストラ燃料を持つ量を、少なくてすむからね。
ディーゼル・エンジンにはスパーク・プラグがないから、エンジン・トラブルが起きにくいのもメリットさ。
いや、レンタカーはアウトバックのリモート・エリアをを走るとき、たくさんの立入り制限があるから、今回の旅には使えないんだ。壊れたり、修理が必要の時にレスキューやリペアが不可能だからね。
ディーゼル・エンジンが気になっていたとき、偶然に仲間が同じ車のディーゼル・モデルを手放すことになって、私が引き継いだ。
私が乗っていたぺトロール・モデルは、別の友達が大切に乗ってくれてる。
この選択は、今回の旅ではベスト・チョイスだったよ。
ミッシェル、これが今あなたが乗ってる、この車を選ぶまでのストーリーなんだ。
私は準備期間中、「オーストラリアをランクルで長距離の旅した人がいるけど、足回りやエンジン内部も細かい砂の影響を受け、元通りに出来ないくらいダメージを受けて、結局ボロボロで廃車にしたらしいよ。」
そういう話をいくつか聞きました。
ホワイトシャーク号も、そうなっちゃうのかしら。こええ。
でも道中、延長線上に,深刻なものがあるトラブルは幾つかありましたが、走行不能に陥るような事はなく、結果として壊れたのは、自分がつけた部品だけ。(爆笑)
帰還したいま、私が経験からいえる事は、
「アウトバックでの37000kmぐらいの旅ならランクルは、ぜえんぜんへいき!」(爆笑)
この10倍くらいは無難にイケそうです。
みなさん、ランドクルーザーは丈夫ですよ。