2013年5月29日水曜日

出発半年前のはなし~師匠へのメール

出発半年くらい前の話なんですが、師匠と出会ったときのはなし。
コレも道中の話ではないので、基本スルーでお願いします。


当時は、刻一刻と時間が過ぎてゆくんですが、具体的な情報がなく、私の日本のアマチュア無線ライセンスが使えない事を知り、アメリカのライセンスを取り直したり、あわただしくあせっていました。

まずは非常事態に対応できるよう、無線の非常時に使う周波数を調べたんですが、これがバンドプランといって、使う周波数が国によって違うんです。

それで、WEBで調べているうちに”日本人が日本語でやってるオーストラリア国内のアマチュア無線サイト”というのがありました。
そしてそこで、ためらいながら質問を書き込むと、間をおかずに書き込みがあった。

「去年、自分の車を持ち込んでオーストラリアを一周してきた。APRS無線も使った。」

う~ん、じつにタイムリーな出会いだ・・・。(笑)

しかも、車はマット、M151A2という、40年も前に米軍の海兵隊が使ってたドアも無い軍用車両。
この車は左ハンドルですが、オーストラリアでは車両法規で、左ハンドルで公道を走るには、特別な許可が必要なんです。
ましてやコレは、オーストラリアには、何台も入ってないんですよ。
丈夫ではあるでしょうけど、アウトバックで壊れたら、部品の手配はどうするんでしょう。
自分より一回りも上の年齢で、普通の人には扱えないその車を使い、チャレンジ・トリップを完了した彼を、私はカッコいいと思います。

う~ん。 じつに、イカシてる・・・。

さらに、私はサッパリわかんない無線の、彼はエキスパートだ。

う~ん、じつに、お近づきになりたい・・・。(笑)

それに、たぶん、たぶんですよ、彼は去年自分の旅が終わり、今は、
”終わっちゃったねぇ。なんかつまんないねぇ。”
なんて、思っちゃってるかもしれない。

う~ん、もしかしたら、力を貸してくれるかもしれない・・・。(爆笑)

私は尊敬の意をこめて彼を師匠と呼び、押しかけ弟子になることに決めました。(爆笑)
そして私は、すぐにその方へメールを送りました。


~抜粋~

早速のお返事ありがとうございました。
実は2年前に、今回の企画は進んでいたんです。
ちょうど今頃、車のシッピングの手配やら国際ナンバーとか、カルネの手配をしていた所に、震災が起きたんですね。

それで、少し落ち着いて再開しようとしたら、父の具合が悪くなって数ヶ月入院して、結局、そのまま家には帰れなかった。入院の数日前まで元気に軽トラック乗りまわしてたのに。
 
ここ数年は特にそういういろいろな事を経験して、自分の中のの優先順位がだいぶ変わりました。
今ここで普通に生活できる事が奇跡なんだし、その中での義務を果たした上で、お金とか時間とか大変だけれども、やりたい事は、出来るならやろう。
そんな風に決めたんですね。おかしな事を言いますが、宗教家とかではないです(笑)

釣りで、時合いが回るっていう言葉があるんですが、魚が釣れやすい時を言うんですね。
なんていうんでしょう、タイミングって言うのかな。若い頃は勢いで走っていたのですが、歳を重ねるにつれ、次々に起こる逆らえない流れの中で無理に進めても、労力は無駄に使うし、期待した結果も出せない事を経験で理解してきて、2年延期する事にしたんですね。

急がずに時間に余裕が出来たぶん、余計に準備をしていました。
それで、ぼちぼち本格的に準備しなきゃと、無線でわからない事を書き込んだあのBBSだったんです。
今は今回の旅行に関しては、時合が回って来ている。と感じています。
乗り越えられられない障壁はないし、**さんや、他の協力者の方々と出会う事が出来たりとか。

もう少し私の事を話しますね。

オーストラリアへ初めて行ったのは、1990年でした。
言葉も話せないのに、生まれて初めて飛行機に乗って(笑)
こんな回を逃せば取れないであろう、ワーキングホリデービザを取って、シドニーでオフロードバイクを買って内陸を旅しました。

雑誌がきっかけで、憧れだったんですね。
24歳でした。ちょうど今頃1月~4月までいたのかな。なんというか若かったし、
なにか自分は何がどれ位出来るのだろう。とか挑戦というか、自分を試したかったのだと思います。

振り返ってみると、携帯コンパスとBPの地図だけでだいぶ危ない事をしていたな。と反省するんですが、その時、情報と準備、それと経験と知識が足りなくて、残した宿題をクリアしようというのが今回の旅行なんですね。

当時はネットも無く情報も知らずに行ってから、雨季は入れないエリアだと知ったりして(笑)
経験から、必要な燃料とか物資とか、単独のバイクではムリな事がわかりましたし、当時は妻も行きたいとの事だったので、車に切替えたんですね。

自営の仕事や結婚、子育てなど当面は旅行出来ない事がわかっていたので、20年後に実行する事にしました。
アテは無かったんですがその位時間が経てば、今を取り巻く環境が好転しているかと考えたんですね。
で、時間が過ぎてみると、社会的な責任は増えるし、お金も桁が幾つか変わるだけで、大変な事に変わりはありませんでした。(爆笑)

今は車独自のスキル、スタックの脱出、ウインチングとか、レスキューのトレーニングしてます(笑)
単独でアウトバックに入ってゆくのは、体力的にもタイムリミットだと思うので、成功させたいと思ってます。

2回目は3年前。
翌年の旅行予定を控えていたんですが、家業などあり、私は旅の中に生きる人生を選ばなかったので、強がりは言っても、ホントにまたあんな旅が出来るんだろうか。とか自信を持てなかったんですね。
それで、自分にアタリをつけるために、正月休みを使い、アリススプリングスで今乗っているのと同じ、ランクルのキャンパーを借りて、ダートも含めてエアーズロック周辺を息子と旅しました。

あーまだイケんな。楽しい。なんて思って、数日間で距離も1500kmほどでしたが、全車中泊でした。
現状では、車の航送に関してと、現地で走り出すまでの手順と手続きに不安があります。
ビザ一杯の3ヶ月の時間は確保する予定ですが、到着後すぐに走れるわけではないので、焦りはしないんですが、なるべくロスを減らしたいと考えてます。

その辺の事を、私はネットから探す事が出来なかったので、
GreenGreenBoxes2を知らなければ、走り出すまでにとても時間がかかったか、走れなかったと思います。

それと無線ですね。
できれば気にかけて下さる方々に、APRSを使い現状報告をしたいなと思っています。
無線に心得のある友人が、APRSユニットを作ってくれているんですが、私は運用した事がないので未知ですね。
そんな中で、ブログをとても有難く参考にさせて頂いています。
後は非常事態対策ですね。
正直なところ、万が一命の危険がある状況では、電話レベルの会話は難しい私としては、自力で無線で現地のレスキューを呼ぶのは難しいと感じています。

それで、ビーコンなどもあるようですが、衛星携帯で現地のジャパニーズスピーカーに頼んで代りに手配してもらう、なんて事も考えてます。
その辺は、現地のランドクルーザークラブなどにあたってみようかな。と考え中です。
土地柄そういう文化もありそうですし。

大変な長話で失礼いたしました。
私はだいたいこんな感じです。
もしご都合がよろしい時にご迷惑でなければ、お伺いしてお車を拝見したり、**さんからお話やアドバイスを聞けたら嬉しく思います。