2013年12月9日月曜日

160日目・1209・サリナ~バイロンベイ近郊P


 夜半過ぎにみんなが帰って、それから就寝。
 だけど3時AM起床。おはようございます。(苦笑)
 ブラットが仕事に行くためです。
 彼は、これから400km離れた鉱山で、朝から仕事。
”起きなくていいよ。”って言われてたんですが、そういう訳にはいきません。
彼は今週中に、鉱山の重機に取り付けられたエアコンの修理とメンテナンスを、120台しなくてはいけません。(驚)
よくTVで見る超大型のトラックやユンボのアレですね。

 よく”オージーは働かない。”って聞きますが、それを言う人はきっと、こういう人たちには、会ったことがないのでしょう。
彼は現場仕事なので、それこそ朝早くから夜遅くまで、よく働きます。

”帰って来てからも、デスクでペーパー・ワークをする事もある。土曜や日曜も、スタッフを休ませて自分だけ働くことも多いよ。”
”私と同じだね。”そんな事をいいあって笑いました。

仕事柄、夏は大忙しなので曜日は関係なく働く。
それで、冬はヒマなので長期の休暇をとって遠くに出かける。
そのアトラクションが今年はケープヨークで、その時に私はブラットのグループのみんなと出会った。





初めて出会ったときはね、じつは微妙に険悪な雰囲気だったんですよ。
あらすじはこんな感じだった。

・私はフレーザー島で、距離は短かったんだけど、生まれて初めてのラフ・ロードを体験して、室内も屋根も荷物はバラバラになっちゃうし、サブバッテリーの配線は振動で切れて充電にトラブル起きちゃうし、完全にビビッていた。(でも、終わった今から考えれば、ぜんぜん序の口だった・笑)

・今回の私の旅の、次のスペシャル・ステージはケープヨーク/オールドテレグラフ・トラックだ。
・でもそこは車壊しちゃうと、ちゃんとした修理工場がある町まで700kmもあんだし、本当は怖くて行きたくなんかない。(爆笑)

・でもココで逃げると、また来なきゃなんないし(笑)、意を決して気合を入れて、その道に入っていった。
・この道に南から入ると、パーム・クリークというクリークをクロッシング(渡る)するんですが、ココがこの道の最大の難関で、みんなココで車を壊す。(数日前にアップした、ジムニーが渡ってる動画の場所)

・彼らはココで、ぶつけてタイヤに当たってるフロントフェンダーを、ハンマーで叩き出していた。(苦笑)
・私は道具をたくさん持ってるので、”May I help you?""(なんか手伝おうか?)なんて声をかけた。
・”ねえよ。なんにも。俺たちで出来るよ。”と、なんだオマエ?どっから来たんだ?みたいな雰囲気(笑)

・次々に入っていく車の屋根を横から押してあげたりして、手伝ってあげた。
・彼らに、他のルートはないのか聞くと、ココしか無いと言う。
・”手伝ってやるからよ、アンタも通んなよ”と、そう言われた。

・”いや、私は行かない。これから2万kmは旅をするのっで、ココで車にクリティカル(深刻な)・ダメージを受ける訳にはいかないんだ。他の道を探すよ。”
・私は"No  damage,It's better!"(車壊しちゃダメよ!)なんて言い放った。
・その場の雰囲気は完全に、私はシッポを巻いて逃げる、チキン野郎。(爆笑)

・でもじつは私は、偶然に前の日、この道から来た人に出会ってアドバイスをもらってあって、ココには必ずバイパスがあることを、聞いて知っていた。(彼らの車は片側が先から後ろまで、メコメコだった・苦笑)
・私は彼らと離れて、一人でバイパスを探して、そして見つけた。
・バイパスを使って対岸に渡ると、彼らは全員が渡りきるところだった。サイドステップ曲げちゃったり、破損多数。(苦笑)

・”あっ!アンタどっから来たんだい!?”ジャパニーズ・チキンはメイン・ルートへ逃げた。と思っていた彼らは、とても驚いた。
・”若い頃はあなた達みたいにファイヤー・ボールだったけどね。歳を取ってからは慎重になってね。”そんな話しをしながらうちとけて、仲良くなった。
・道は狭いので、私は最後尾を走り、無線で連絡をとるうちに、グループのケツ持ちみたいな役割りになっていった。(笑)

ホントはもっと一緒にいたいんだけどな。
”いってらっしゃい。気をつけてね。”
 ”Yoshi,来てくれてありがとう。また会おうぜ。mate!(仲間)”そう言って出かけてゆきました。
 昨晩、明朝早く出て行く。との事だったので、”私も一緒に出て南へ向かうよ。日本では主人の居ない家にいることは、非常識なんだ。”
そう言ったんですが、”ここはオーストラリアだ。オーストラリアでは失礼じゃないよ。いいから朝まで居ろ!”との、暖かい言葉に甘える事にしました。
 それで二度寝して、結局起きたのは8時(笑)
サリーはまだベッドルームで寝てます。

私は外で、おとといに乗りっ放しで泥だらけだったブラットのバイクを、きれいに洗車しました。
彼は、洗車なんかしてる時間がないくらいに忙しかった。
 ブラットんちの内装は白で、明るいです。
床は大理石みたいなタイルなんですが、室内土足ではなくって、裸足。
この辺は冬でも寒くはならないだろうから冷たくはないだろうし、不自由はないのでしょう。

外国は室内土足のカルチャーだと思ってたんですが、振り返るとこういうスタイルはかなり多かったです。掃除楽だもんね。
 昨晩、「スシ・オコノミヤキ・クッキング・ワークショップ」を開催したキッチン。
今日は静か。ほんの数時間前なのに、女子軍の華やかな笑い声が妙に懐かしい。
 ちょっぴり淋しいのは、もう私もここを離れなければいけないからでしょう。
たった二日間だったんだけど、ここから見る景色ともお別れ。
 ものすごく慌しかったんだけど、ものすごく楽しかった。
サリーと一緒に昨日の残り物の朝食を取りながら、私のPCを見せました。
通関業者のコンさんからメールが入っていて、メールの文がよくわかんなかったので、サリーに返事を打ってもらいます。
「1日繰り上げて11日にオフィスへ来てくれ。」との事らしいので、急ぎます。
ここからシドニーまでは2,000km。二日間の行程です。
 この部品がわかるかな?
プロペラシャフトとタイロッド、それにCVジョイント。
ブラットのジムニーのパーツかな。壊して交換したやつ。(笑)
やっぱブラットはヤンチャです。(笑)


さて、車を停めさせてもらってるワーク・ショップ(作業場)で出発準備に入ります。

来た日、オイル交換をしながらサリーとした、話の続きをしながら積み込みをします。
作業しながら、思っていた事を尋ねてみます。

"サリー、あなたたちは一緒になって12年だと言ってたけど、なぜ結婚しないんだい?”
彼女はいま30過ぎですから、ティーン・エイジャーの頃から一緒にいます。

”私は結婚したいのよ?だけどブラットが。。。”みたいな感じ。(笑)
他にも9年間つきあってる。とか、彼らの仲間にもそういうカップルは多いんです。

もちろん個々の事情はあるのでしょうが、男子にとっては束縛を避け、やりたい遊び優先にできるし、義務や責任も持たなくてすみますから、都合がいい話ではありますよね。
”国によって文化や常識は違うし、私は日本でも恐竜みたいに古い考え方なんだけどね。”そう前置きした上で、私は話しを続けました。

”あなたは毎日ブラットの為にクッキングをしたり、ランドリー、ハウス・キーピング、クリーニング、彼が仕事でいない間はこうして家を守ってる。
3年前までは、彼の仕事のデスク・ワークもしていた。って、そういってたね。”
"日本ではそういうのは、ガール・フレンドとは言わない。 ワイフやファミリーって呼ぶんだ。”
昨日の晩、芝刈り機も運転させてもらった(笑)

”長い期間、一人の女の子とつきあって一緒にいるのなら、ボーイ・フレンドはその子の未来に責任を持たなくてはいけない。”
”男はね、何歳になってもボーイのマインドを残したほうが、私はいいと思う。”

”でも、女子はそういう訳にはゆかない。ベイビーもあるし、結婚に向いているタイミングや年齢と言うのは、やっぱりある。人はずっと同じ年齢ではいられない。毎年一歳ずつ歳を取るからね。私はそう考えるよ。”
”生活が豊かな国ほど多くのライフスタイルがあって、女性も働いているケースは多い。
でも、それは、イギリスで産業革命があってから、過去100年くらい前からの話だね。”

”もちろん、私は男女は平等だと思う。
でも、大昔から男性はハンティングをして家にフードを持ち帰って来た。それが出来ないと、自分の大切なひとや子供は、お腹が減って死んでしまう。女性は子供を生み育て、男が居ないときには、家を守ってきた。”

”今は男性は、狩りじゃなくワークをして、獲物じゃなくてマネーを持ち帰ってくる。そういう、人間としての本能やベーシックな役割は、100年くらいでは変わらないし、変えられない部分もある。私はそう考えるよ。”

”サリーはどうしたいんだい? ベイビーは欲しいかい?ああ、そうだよね。ワイフの希望や願いを叶えるのは、ハズバンドの仕事でもあると思うよ。”

ブラットとは、未来の事を話すといいよ。私も出国までは電話で話すし、今後もメールで繋がってゆくから、私からも機会をみて伝えてみるよ。”




この後ろの箱にね、「三 菱 重 工 エ ア コ ン」と漢字とカタカナで書いてあります。
私は読み方を一文字づつ指差しながら、”ミツ・ビシ・へビィ・インダストリィ・エ・ア・コ・ン”と教えてあげました(笑)

”Yoshi, See you again at one day.”(いつかまた会いましょうね。)
そう言ってお別れのハグしたあと、サリーがうるうる泣いてるところ。
私が抱きついていったんじゃないゾ。(爆笑)

ホントにもう、マジで、こういうピュアな人たちの輪の中で暮らせねぇかなぁ。なんて、そんな事考えますね(笑)
でも、私は責任感のある正しい日本人なので、背負っている自分の義務と責任を果たすために、帰国します。



さあ~、また一気に2,000km走りますから、気分を切り替えてゆくよぉ~!
サリナの町から、最後にうまいミート・パイを食べてから出ようと、2個も買ってパイ屋さんの前の中央分離帯のベンチでムシャついていたんです。

そしたら、たまに通る車からなんか叫ばれる。  「ヘオシ!」とか「ハオシ!」
え?え?、笑ってるし、親指おっ立ててるので、敵意は感じません。なに?なんつってたの???あれ。?

引き続きムシャついてると、またきた。今度は聞き取れた。わかりました。
「Hey!Yoshi!」 (よぉ!Yoshi!)って叫んでるんです。もうひとつは「ハイ!Yoshi!」でしょう。
たぶん、おとといのエンデューロで会った人たちが、声かけてくれているんでしょう。
恥ずかしながら、顔も覚えてないんですが、私はアジア人だし独特の風貌だし、近くにランクルあるしで、向こうからはきっと遠目からでもわかるんだね。
小さな町では、悪いことは出来ないですね(汗)
さあ、巡航モードに入ります。
煙ってきました。
ブッシュ・ファイヤー(野火)です。
最初はビビったり、物珍しくていちいちムービー撮ってたりしましたが、数十回遭遇し当然のように見慣れてスルー。
速度の遅い家畜用のロードトレインも、オーバーパスしてスルーします。

信号待ちで写真撮って、
町もスルー。
サンセット・タイムも走り続け、
夜のブッシュファイヤー。
毎晩焚き火してたくせに、こういうのは不気味に感じる。(笑)

トワイライト・タイムも走り続け、
でもやっぱり、眠くなっちゃうんですよ。(笑)

私は自分の中でグランドルールを持っていて、そのひとつは「音楽などはかけない。」
これは、風を切る音、エンジンの音、タイヤが路面を叩く音、エキゾースト・ノートが、
いまの私スタイルの旅では、最高のBGMだと考えるからです。

それに、これらの音を毎日聴いてるから、音が変わると、どっかネジや、荷締めが緩んでるとか、不具合が起きるとすぐわかる。

でも、事故っちゃ笑い話にならないから、こういう場面では、迷わず掟を破ります。(爆笑)
ロードトレインなんかと正面衝突なんかしたら、ホントにぺっちゃんこになっちゃう。

眠気覚ましに、ガンガン音楽かけて走ってるところ(笑)

給油や小休止以外は走り続け。
ここはパシフィック・ハイウエイ。
日本で言うと、国道一号線みたいな流通の大動脈なので、深夜でもトラックは走ってます。
日中のブリスベン・シティの渋滞は避けたかったので、
夜半過ぎにブリスベンも通過しました。
本当はヤスさんのところにまた一泊させてもらうつもりだったんですが、
明後日にはシドニーに着けなければいけないので、ミッドナイトの湾岸ハイウエイを通過します。
この晩はバイロンベイの近くまでゆきました。

0 件のコメント:

コメントを投稿