入る前、正直にいうと気持ちは、「おー、こええ。」
今回の旅では初めて持つ感情でした。
驚いた事に、ホールズクリークのインフォメーションでも、ビルリナのコミュニティでも、公式な道路情報は一切ないんです。
「現地にゆけば、詳細な情報がわかるだろう。」そういう期待は、すぐにどこかに飛んでしまいました。
「一ヶ月くらい前までは入ってった人がいたけど、燃料不足とトラブル以外は戻って来なかったんで、大丈夫じゃないか?」みたいな感じ(苦笑)
危ない事をする時に情報や経験がないということは、怖いものです。
若かったころ、バイクで旅していた時には、ストックルートの中ではいつも怖かった。
あれほど思い描いていた事なのに、入ったら無我夢中で、なるべく早く通過する事しか考えない(笑)
生まれて初めて飛行機に乗ったのがあの旅でしたから、無理もなかったのでしょう。
今回は考えられる事に対応できる装備を持ち、あの頃とは経験も知識もだいぶ違いますから、余裕があったのかもしれません。
でも、このことは最初からわかっていて、怖いから練習し、乗り越えるために準備を整えてきた。
なんでそんな危ない、意味のない事すんの?と、数え切れないほど聞かれましたが、本当にその通りなのですが、じつは私にもわかりません(笑)
日本人の感覚だと、山登りに近いような気がします。
私は過去に自分に課したその宿題を、クリアするために莫大な労力と時間を費やしました。
日常の、今のこのつらい仕事も、必ずこの目標につながっている。そう考えると全ての時間や努力は、とても楽しいものでした。
それに、私は自分の息子に「本当にやりたい事は、諦めずに出来るまで何度でもやりなさい。」とそう教えているので、私もそうしなくてはいけません(笑)
入ってから1日目は、なにが先にあるのかもわからずに、不安で無我夢中。
おー、コレだよね。この感覚。なんて思いながら、その事を楽しんでいる自分がいました。
2日目に、オージーの旅人とすれ違いました。
私は10日間かかりましたが結局、コミュニティを除くとそれ以外には人に会わなかった。
メルボルンからパースに抜け、キャニングストックルートからタナミロードを通り、アリススプリングスを経由してメルボルンに帰るといいます。
数年前、5月にキャニングストックルートに来たけれども、冠水していて引き返した。との事でした。
車は私がいつか乗りたいと思っているひとつの、30年も前のランクル。
でかい斧をブルバーにくくりつけ、燃料は車載の180Lの他にジェリ缶を10個室内に積む、本物のアウトバック・トラベラーでした。
それは、もし次に私が旅に出れるとしたら、やりたいスタイル。
オージーは大抵、最新のアウトドアグッズを持ってますが、こういう人って本当にいるんですね。
オージーは大抵、最新のアウトドアグッズを持ってますが、こういう人って本当にいるんですね。
冷蔵庫も持たずに、いつも熱いビールを飲んでいるといいます。
私が冷たいビクトリアビターを出すと、5秒で飲み干しました(笑)
あとでこっそり追記しますね。 20131028Parth
ビルリナのコミュニティのお店。
アボリジニのおばちゃんと喋りました。
クレーターの頂上。
ここで今回の旅では最初の、360°の地平線を見ました。
最後の給油。
暑いです。
グレートサンデー砂漠に入ってゆきます。
ここでは、日が昇り、風が吹き、沈み、ごくたまに雨が降る。
それが起こることのすべてで、毎日それを何万年も繰り返してきました。
人間基準の時間のはかりは役に立たないので、
腕時計を外してグローブボックスにしまいました。
何時までにゆかないとお店が閉まっちゃうとか、関係ないんですね。
日差しがとても強いので、跡は3日で消えちゃいました(笑)
41番の井戸までゆきたかったのだけれど、暗くなるまでに着けないので途中の小さい山の上でキャンプ。
なんか誰かが石で作った塔と看板があり、チャーリーズキャンプと書いてありました。
不意にここでも360°の地平線を見ました。連日ですね。
夜は深夜でも35℃あったので、暑くて外でマットを敷いて寝ていました。
私が冷たいビクトリアビターを出すと、5秒で飲み干しました(笑)
彼とこの先の道路情報を交換し、うん、イケるな。と確信しました。
それは単独無補給走破。
今は途中に補給ポイントがあるから、本当はこの車のスペックならば屋根に燃料乗せる必要はないんですが、過去に出来なかった自分に、挑戦したかった。
でも、あらかじめまわりに言っちゃうと、限界の時に自分にカッコつけようとしてがんばっちゃったりして、遭難するから言わない(爆笑)
キャニングストックルートに関しては特に、どこまで公開してよいものか、だいぶ考えました。
過去にアウトバック・ストックルートを旅した方が、詳細を出版したところ、それ以降日本人が遭難し、命を落とす人が続出し中止した。という話を知っていたからです。
私が出した結論は、全部公開する。
アウトバックを旅する人は子供ではないので、大人としての判断と自分の責任を取れる。と考えたからです。
私は、責任を取る。ということは、起こしたことに対して、元通りに出来る。か、あと始末がつけられる。という事だと考えます。
自分のワガママや些細な不注意から、不用意に他人さまに迷惑を掛けてはいけません。
私は衛星携帯電話やエマージェンシービーコンを持ち、コンパスや地図はもちろん、緯度経度の位置ががわかるGPSを3つ持っています。(うち一つはカメラのGPS機能)
機械は壊れるかもしれないので、スペアは必要なんですね。
でも2つだと不調になったらどっち信用してよいのかわからなくなる。
ビーコンはスイッチを入れると、オーストラリアのどこにいいても、2時間以内に緊急救助が迎えに来ます。
車はこの旅に最適だと思われるものを手にいれ、勉強し、練習し、個人としては考えられる、出来る準備を全てしてからここにやってきました。
なので、大抵のことには自力で対応出来るようにしてきましたが、事故とか心臓発作とか、不意に何が起きるかはわかりません。
のっけから縁起の悪い話で恐縮なのですが、私はホールズクリークで緊急連絡先として、
この旅で知り合ったブリスベンの金園さんの電話番号を紙に書いて財布に入れ、日本の家族の緊急連絡先や、私のパスポートや重要書類は、車のここに入ってます。という内容をメールで送り、これからこういう所に入ります。
と、万が一の際の私の後始末を再度お願いしました。
お会いした時に今回の旅の趣旨を説明し、あらかじめそいういう万が一の時の、面倒な役回りをお願いし、承諾を頂いていたんですね。
それはhiro師匠に、警察が遭難者の遺体を発見した場合には、まず最初に財布の中身を見る。とお聞きしていたからです。
今はGPSがあるので、基本的に道には迷いませんが故障など、自分に起こる事には対応できないと、通り抜ける事はできない。
自分で走ってわかったのですが、キャニングストックルートには、オールドルートが存在します。
それも数十kmという長い距離で、私が気付いただけでも5、6ヶ所。
小さな迂回路を入れると、それこそ無数にありますが、当然地図には載っていません。
道が荒れすぎて通れなくなると、新しく別な道をつけるんですね。
車が通らなくなった轍は風が強く吹く場所では砂で埋まり、スピニフィックスや潅木が生え、数年で道ではなくなります。
途中で道が無くなっちゃうんですね。
どれも分岐点にはサインは無かったですし、まっすぐ行くと旧道、右に曲がると新道。
みたいな感じで間違えやすく、もし旧道で立ち往生などすると、ハイシーズンでも数日に一度しか通らない人はこちらには入ってこずに、とても危険です。
過去にバイクで、今回の出口であるウイルナまで来て、自分の足元をよく見て判断し、延期し、今回の旅につながったのですが、
いま振り返り思うと,、ああ、あの時行かなくてよかったな。
あの時の私の経験や装備、技能、知識ではぜんぜん通り抜けられなかったな。とつくづく思います。
ここでは道に迷うことを、遭難する。といいます。
私は3年前、現地の方に、この道は十分な装備と、負担を分担できる信頼の置ける仲間が必要だ。あなた1人では無理だよ。そう言われました。
私は準備中に、単独で走破した事例を見つけられませんでした。
直接行った人の話を聞きたかったので、数多くのプロショップを訪問し、キャニングストックルートに行ったことがありますか?と聞いたのですが、
直接行った人の話を聞きたかったので、数多くのプロショップを訪問し、キャニングストックルートに行ったことがありますか?と聞いたのですが、
とうとう行った人には会えませんでした。
長くそこに居るだけで生死にかかわる、アウトバック・ストックルート。
その中でも、キャニングストックルートは世界最長の道といわれ、特別な準備をした者にしか通過を許されない。
みんな知ってるけど、誰も行った事がない、今でもチャレンジャーが後を絶たない伝説のヘリテイジ・トラック。
みんな知ってるけど、誰も行った事がない、今でもチャレンジャーが後を絶たない伝説のヘリテイジ・トラック。
今までもそうなんですが、説明や、入る前にやった事など書けると3倍くらい面白いんですが、わたしは旅を続けないといけないし、いまはどうしてもきちんと書いている時間を確保できないでいるので、取り急ぎ画像だけ。
動画が簡単にアップできれば更に面白いんですが、やたらとフリーズするんですよね。
日々めまぐるしくいろんな事が起きているので、ごめんなさい。
野性のラクダに出会ったり、ヘビ轢いちゃったり、井戸の中にでかい毒ヘビやオオトカゲがいたり、夜中に静かな音、を聞いたり、面白い事がいろいろあったんですね。
手も洗えずにいつも小汚い(今もそうですが)格好をしていましたが、ファンタスティックに生きている事を実感していました。あとでこっそり追記しますね。 20131028Parth
ビルリナのコミュニティのお店。
アボリジニのおばちゃんと喋りました。
クレーターの頂上。
ここで今回の旅では最初の、360°の地平線を見ました。
最後の給油。
暑いです。
グレートサンデー砂漠に入ってゆきます。
ここでは、日が昇り、風が吹き、沈み、ごくたまに雨が降る。
それが起こることのすべてで、毎日それを何万年も繰り返してきました。
人間基準の時間のはかりは役に立たないので、
腕時計を外してグローブボックスにしまいました。
何時までにゆかないとお店が閉まっちゃうとか、関係ないんですね。
日差しがとても強いので、跡は3日で消えちゃいました(笑)
41番の井戸までゆきたかったのだけれど、暗くなるまでに着けないので途中の小さい山の上でキャンプ。
なんか誰かが石で作った塔と看板があり、チャーリーズキャンプと書いてありました。
不意にここでも360°の地平線を見ました。連日ですね。
夜は深夜でも35℃あったので、暑くて外でマットを敷いて寝ていました。
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